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佛立の臨終

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臨終の相とは:(平成10年修学塾1等講師テキストより趣意)

 臨終とは、「臨命終時」の略称で、命が終わるとき、の事を指します。佛立信者にとっての臨終とは、

ただ、命が終わる、というだけではなく、それまでの信心修行の成果があらわれる時なのです。

 御祖師様は、「臨終のことをさきにならひてのちに他事を学ぶべし(趣意)」とお示しです。

 私たち人間は無常の身の上であり、明日のことはどうなるか分かりません。だから、命が終わる時の

事を命があるうちに先に習っておかないといけない。色々他の事を学ぶのはそれからである、と仰せです。

 開導聖人のご指南には、

 「宗祖曰臨終のことをさきにならひてのちに他事を学ぶべしと、又曰口唱の外、別に成仏を求むべから

ずと云々。又曰一遍口唱一遍の仏と。されば平常に忘れず口唱するが臨終の事を習ふ也。信者の死ぬ

るは草臥(くさぶし)て寝るに同じ。臨終正念の心配は無益也。任と信とは同也。(趣意)」とお示しです。

 御祖師様は臨終の事を先に習っておいて、その後に他の事を学べと仰る。また、御題目口唱以外の道

で、他に成仏の道を求めてはいけないとも仰る。また、一遍の御題目口唱が、一遍の仏と感得せよと。

ならば、この教えを常日頃、忘れず口唱信行に励むことが、臨終の事を学ぶ、ということである。

信者が臨終を迎えるときは、眠るがごときの臨終である。信者は臨終の後の心配は必要ない。御法様に

全てをお任せをする、ということが信心である。とお教えを下されております。

 眠るがごときの臨終こそ、佛立の臨終であります。

 「臨終の相」について。

 高祖御妙判、「千日尼御前御返事」(昭定1599頁)には、法華経の行者の臨終の三様相が示されて

います。

1、色変じて白色となる。 2、軽きこと鵞毛の如し。 3、柔らかなること兜羅綿(真綿の意)の如し。

 また、他の御妙判には、臨終の相を詳しく教えて下さっております。

 高祖御妙判、「妙法尼御前御返事」(昭定1535頁)にお示し下されたことを要約しますと、

 臨終には、その臨終を迎える人の一生すべてを余すところなく現れる。臨終の相(姿)は、その人の、

果報の現われである。

 臨終の時にその人の色が黒いのは地獄に堕ちていることを現していると、言われている。

 守護国界主陀羅尼経には、地獄界に堕ちれば15の相を現し、餓鬼界に堕ちれば8種の相、畜生界に

堕ちれば5種の相などが説かれている。

(守護経には、臨終の際に現れる姿で臨終の後に行く末の相が現れると説かれています。)

色々な経文、先師の教えの説くところは、つまりは臨終の相が黒や青は地獄、黄は餓鬼、赤は畜生、

白は天人とある。天台大師の臨終も、玄奘三蔵の臨終も色は白であったと記録が残っている。

と、あります。

 よく御信心に励まれた御信者の臨終は、顔色は白く美しく、身体は死後硬直もなく柔らかで、表情には

笑顔が現れております。寂光参拝の姿が現れ出ているからであります。

 これは何故かと申しますと、如説修行抄第6段に

「命のかよわんきはゝ南○経、南○経と唱へて唱死しぬるならば、釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にし

て御契約なれば、須叟の程に飛び来たって手を取肩に引懸けて霊山へ走り給はゞ、二聖二天十羅刹女

は受持の者を擁護し、諸天善神は蓋を指し、幡をあげてわれらを守護して慥に寂光の宝刹へ送り給ふべ

き也。あらうれしや。あらうれしや。(趣意)」とお示しの通りの事が起こるからであります。

 命が終わるまで信心修行に励む人は、法華経の会座において法華経の行者を守護するという諸仏の

御約束があるから、臨終を迎えればあっという間にお迎えが来て、法華経の守護神や諸天の方々が、

臨終の者を寂光浄土へとお送り下さる。こんな嬉しいことはない、臨終の相は、「唱え死に」の一心一筋

の口唱によって極まるのである、と教えていただいているのです。

開導聖人御教歌

 臨終の時にあらはす寂光は 信者のつねの行にあるなり

 臨終に地獄へ行がいやなれば 生て居る内口唱精出せ

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