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妙講一座を学ぼう! |
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妙講一座(みょうこういちざ) 正式名称「本門佛立妙講一座」 明治十一年六月、佛立開導日扇聖人が高祖六百回御遠諱 に向けて、当時の本門佛立講(佛立宗の前身)の法要の様式を定められ、すべてのお弟子、ご 信者方に配布されたもの。 妙講一座は当宗の法要の形式としてだけではなく、佛立信心のおこころを御指南として、私達 にお残しくだされたのです。ですから、私たちは開導聖人の御指南を毎日、朝夕に拝読をさせて 頂いていることになるのです。 当宗では、出来る限り御題目を一遍でも多く口唱させて頂くことが大事としています。ですが、 開導聖人の御時代の法華宗でも、お経文を多く唱え、一番大切な御題目を少ししか唱えてい ませんでした。お経文を唱えることは仏様の教えを学ぶということですが、学んでも修行がなけ ればいけません。開導聖人は「信とは行也、行とは口唱也」(拝要抄・日扇聖人全集十二巻 一七五頁)とお教えくだされておりまして、今の時代の信心修行は御題目口唱であるのです。 薬に例えるなら、御題目が薬なら、お経文は効能書きなのです。効能書きを一生懸命見ても 薬を飲まなければ病気は治りません。逆にろくに効能を知らなくても、医者の勧めで薬を素直に 飲めば病気が治ります。 これと同じように、御法門で教えて頂く通り、先輩の青年会員や役員の人の勧める通りに、 素直に口唱に励んでいれば、お経文の内容を知らなくてもご利益が頂けるのです。 この御題目口唱を我も唱え、人にも勧めるという当宗の大事な教えを、開導聖人が僕達や、 未来の御信者方へも、いつまでもずっと教えてくださっている。 それが、妙講一座なのです。 このことを理解しておいて、妙講一座の内容の講義に入って行きましょう。 青年会の会員なら、お寺や御講参詣、家での御看経に妙講一座の折本をしっかりと拝読して 決して、空覚えで妙講一座のご文を唱えないようにしましょう。 一文字、一文字、しっかりと見て、間違えて唱えないよう心掛けてください。 [目次にジャンプ] |
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今回は妙講一座の構成についてお話をします。妙講一座は以下の12章で構成されています。
以上が主になる部分(主文)です。
以上が附加の部分です。 五悔 大正3年、伊達日彰上人という方が無始已来からあゝ有難やの主文を5つに分けて「五悔 (ごげ)」と説明をされました。 「五悔」というのは、5つの懺悔(さんげ)ということです。懺悔というのは自らの犯した罪を 悔い改め、二度と罪を犯さない、というお誓いを立てることです。 私たちは生まれてから今までどんな罪を犯したか、またどれくらいの大きさの罪を犯している のかは分かりません。そればかりか、過去世といわれる前世やずっとずっと前に犯した罪など知 る事は出来ません。 しかし、お互いは仏様の眼からご覧になれば、大きな大きな罪、罪障を背負ってこの世に生ま れ出て、この世でもその罪障のおかげで苦しみを受ける宿命にあるのです。 ここで、御信心というものはその罪障のお懺悔から始まる、ということをお教え下されている のです。五悔とは、懺悔、勧請(かんじょう)、随喜(ずいき)、回向(えこう)、発願(ほつがん) の五つです。 参考文献(本門佛立宗 宗徒教範 妙講一座) [目次にジャンプ] |
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今月は、「無始已来」の御文についての講義です。 原文「無始已来謗法罪障生滅 今身より仏身に至るまで持奉る 本門の本尊 本門の戒壇 本門事行 八品所顕 上行所伝 本因下種の南○経」 五悔の中の「懺悔」にあたる。 「無始已来 罪障生滅」 現代語訳 私たちは生まれるとき、前世やそれ以前のことは忘れてしまっています。生ま れ変わり、死に変わりしても貴いお題目を知らずに来ました。そればかりか欲や迷いのた めにさまざまな悪業を積んできた事を、仏様の貴いみ教えに教えて頂きました。 しかし、有難いことに上行所伝のお題目の御信心にお出値い出来ました。 先ず、遠い遠い昔からお題目の御信心を知らず、悪業を積み重ねて来た事をお懺悔申し 上げます。 「今身より仏身に至るまで持奉る」 現代語訳 この上行所伝のお題目の御信心をさせて頂くからには、ほかの信心や迷信に 迷わず、ただひたすらにお題目をお唱えさせて頂きます。そして、すべての人々に上行所 伝のお題目の御信心をお勧めさせて頂くことをお誓い申し上げます。 「本門の本尊 本門の戒壇 本門事行 八品所顕 上行所伝 本因下種の南○経」 現代語訳 そして法華経本門八品に顕された上行所伝のお題目を、本門の御本尊、本門 の御戒壇に、迷わずしっかりと口唱信行に励ませて頂きます。 参考文献 「絵で見る妙講一座」宗務本庁企画室 発行 [目次にジャンプ] |
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今月は「如来滅後」の御文についての講義です。 (原文は妙講一座を参照してください。) 「如来滅後」の御文は御祖師様の「観心本尊抄」の肝心な部分を開導聖人がお取り になっておられます。観心本尊抄は妙講一座の「如来滅後」の御文の冒頭にある通 り、「如来滅後々五百歳始観心本尊抄」が正式名です。御題の意味は簡単に言うと 如来(釈尊)の御入滅の後、2000年を過ぎた末法と呼ばれる時代に相応する御 本尊を顕されたお書き物、ということです。 「如来滅後」の御文の大意 御祖師様の観心本尊抄にお示し下されているところによると、お題目の御本尊に は、すべての仏、すべての菩薩方、宇宙法界一切の功徳が納められていて、すべて の功徳が納められている御本尊が奉安されているところは、そのまま寂光浄土とな ります。 御本尊に顕されたお題目は久遠本仏のお悟りの功徳そのものであり、この世の中 宇宙に実存する根本の真理であります。このお題目は仏様御一代の説法の中でも妙 法蓮華経、その中でも本門八品に説き示されておられます。そこには久遠本仏が召 し出だされた上行菩薩にお題目をお手渡しされているようすが示されているのです。 そこでは久遠本仏が末法の我々の救済を上行菩薩に直々にご命令遊ばされていま す。ですから、末法のお互いがいただく御本尊はこの上行所伝のお題目だけなので あります。迷う事無く唯一絶対の御本尊に対する御信心を固める事が大切です。 参考文献 「絵で見る妙講一座」宗務本庁企画室 発行 [目次に戻る] |
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今月は「南無久遠本時」の御文についての講義です。 (原文は妙講一座を参照してください。) 前の「如来滅後」、「南無久遠本時」、次の「南無当門」の御文と一つになって五悔 の一つ、「勧請」を表していると考えられています。如来滅後の御文は本門の本尊、 南無久遠本時、南無当門の御文は本門の戒壇を勧請しているとも考えられます。 この「南無久遠本時」、次の「南無当門」の御文は高祖日蓮大士を始めとして、 門祖日隆聖人をはさんで、正しいみ教えの清流を守られてきた方々を勧請して、その み教えに従い申し上げます、とお誓いを申し上げるという意味があります。 「勧請」とは、二つの意味があり、一つは仏様が永遠にこの世におられて、御護りを 下さいますようにと願う意味。二つには仏様にみ教えを下さいますようにという意味 があります。(妙楽大師御釈趣意) 仏様は既にお姿を隠されておられますが、それにも深い意味があり、我々末法の衆生 に特に慈悲を下されています。実際にお互いが御宝前に一生懸命おすがりすればお計 らいを下さるように、仏様は我々のそばで常に見守って下さっていることが分かりま す。そして、仏様の正しいみ教えは、高祖大士、門祖聖人、開導聖人や先師聖人方が、 我々にお伝えを下さる。仏様がこの世にましますように、正しいみ教えが伝わって 来ているのです。 「勧請」とは、こうした正法が現前として在ることを感じる事の信心。生きてましま す御法様に対する随順の思いを表したものと言えるのです。 「南無久遠本時」の御文は、先ず高祖日蓮大士を勧請する御文です。 [目次へ戻る] |
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今月も「南無久遠本時」の御文についての講義です。 (原文は妙講一座を参照してください。) 南無久遠本時…と続くところは、先ず、法華経本門の御法門が舞台です。その時釈尊 は、久遠本仏という真の姿を顕され、久遠の昔にお教化をされた地湧の菩薩方を呼び 出されました。その代表の本化上行菩薩をお召しになり、「末法悪世の時代で御題目を 御弘通するように」と、ご命令になります。 それから2000有余年後、上行菩薩は日本国に末法の総導師として御生まれになり ました。それが高祖日蓮大士であります。 高祖日蓮大士は、建長五年四月二十八日の立教開宗から三十年もの間、命をかけて、 御題目を御弘通なさいます。そのご苦労は命に及ぶ迫害が大きなもので四回、その他 にも常に危険にさらされました。 しかし、御祖師様は屈しませんでした。それは、このような迫害が加えられる事は、 法華経に仏様が予言されていたのです。「御題目を全ての人に唱えさせる」このこと 以外の事は考えられないとも、お言葉を残されておられます。この、御祖師様の大慈 大悲をお互い忘れないようさせて頂かねばなりません。 と、仏様から上行菩薩、そして高祖日蓮大士と御題目が伝えられる姿を示されている のです。 [目次にジャンプ] |
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今月は「南無当門」の御文についての講義です。 (原文は妙講一座を参照してください。) ここからは、高祖日蓮大士の御題目の正しい御信心をしっかりと受け継がれ、我々に お伝えを下された方々を勧請させていただく御文です。 先ず、御祖師様の直弟子でも優れた、六老僧と呼ばれた日朗菩薩が挙げられます。 日朗菩薩は特に良く御祖師様にお給仕をされたと言われており、「給仕第一、信心第 二、学問第三」という「朗門の三則」は、お互いの信心の在り方として学ばせて頂か ねばなりません。 次に、御祖師様より当時の天皇のおられた京都の御弘通を命じられた日像菩薩が挙げ られます。当時は天台宗の総本山である比叡山の影響が大きい京都で、ご苦労を重ね られて、京都の中心に御題目の御信心のお寺を建立され、法華経信仰で包まれました。 第三には日像聖人のお弟子の「大覚大僧正」この方のご奉公で、朝廷から御祖師様に 「大菩薩」号、日朗、日像両聖人に「菩薩」号、ご自分にも大僧正位を贈られました。 第四に大覚大僧正のお弟子の朗源和尚、第五に門祖のお師匠の日霽聖人、第六に門祖 の教学の導きをされ、共に御祖師様の御信心を正すご奉公に苦心された「日存聖人、 日道聖人」等の方々の御奉公を偲び、御称え申し上げなければなりません。 [目次にジャンプ] |
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今月も「南無当門」の御文の講義の続きです。 (原文は妙講一座を参照してください。) 「南無蓮師後身…」と続くところは、高祖日蓮大士の御再誕として高祖御遷化後、百年後に 御生まれになった門祖日隆大聖人を勧請させていただく御文です。 なぜ、門祖聖人が高祖大士の御再誕といわれているのかというと、 @高祖の御遷化が弘安5年10月13日、門祖の御誕生は至徳2年10月14日。時代は10 0年程へだてておりますが、日付は続いているのです。これは、お釈迦様の御入滅が2月15日と 伝えられており、高祖の御誕生が貞応元年2月16日と因縁が続いていることから、お釈迦様→ 高祖→門祖と因縁が続いているという理由。 A高祖と門祖が御誕生になったとき、同じように産湯の水が湧き出したという出来事があった事。 B高祖、門祖が御生誕の時の社会事情が同じように、混乱に満ちた状態であった事。 C教義が同じであるということ。高祖も門祖も法華経本門八品のみ教えに基づいて、上行所伝の 御題目を「我も唱え、人にも勧める」口唱折伏行の実践を迫害にも耐えて御奉公されたという点。 以上、4っつの理由から門祖聖人を「蓮師後身」つまり高祖の御再誕として勧請させていただく のです。 そして「惣じて十界勧請、当位々弥下…」と続くところは、成仏の果報をいただかれて御本尊の 中に納められた方々が、我々と同じ位まで下られて口唱されておられるお姿をいただいて、勧請 させていただくのです。 この勧請段の全ての方々のお徳をたたえ、口唱信行させていただく我々にご守護をくださるよ う請い願うのです。 [目次へジャンプ] |
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今回は「回向文」についての講義です。 (原文は妙講一座を参照してください。) 「願くは、受持口唱し奉る、本地本法の功力を以て…」 この回向文では、真の「回向」について教えてくだされています。「回向」というと、亡くなった方 への冥福を祈るということだけが、一般には理解されています。しかし、本来深い深い意味がある のです。 開導聖人は「我らの御奉公を回向の第一と心得よ。」とお示しです。 回向の言葉を簡単に説明すると、「ふりむける」ということです。自分が努力して積み上げたもの を”他”に振り向けること、それが回向の大まかな意味なのです。 妙講一座の御文一つ一つを説明すると難しくなりますので、現代語訳を掲載いたします。 「どうか、今私がこの上行所伝の御題目の御信心をさせていただいている功徳を、御宝前のお 力で一切の精霊の追善菩提のために振り向けていただきますように。また、私達佛立信者が共に 異体同心にますます口唱信行に励み、御法様の御護りをいただき、仏果を成就できますように。 特に心身の病に悩む人があれば、速やかに健康で明るい生活ができるよう、功徳を振り向けて下 さい。更にこの御題目の御信心が世界中にお弘まりになり、この世の中が救われますよう振り向 けていただきますように、お願い申し上げます。」 要点を挙げますと、「過去」「現在」「未来」への回向を教えていただいているのです。 亡くなった過去の衆生、現在御信心されている方々、未来に御信心される方々へ自分の功徳 を振り向けていただくことが、「回向」なのです。こうした、「菩薩行」のこころが前出の開導聖人の 御指南の「我らの御奉公」なのです。御信心には必ず「自」と「他」が共々に幸せになりますように という願いがこもっていないといけない事を忘れてはいけません。 来月から「実践!教養講座2」にてこの講義は続きます。 [目次に戻る] [教養講座2へジャンプ] |
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今月は、「あゝ有難や」の御文についての講義です。 (本文は妙講一座を参照してください。) この御文は、五悔でいいますと「随喜段」といわれています。随喜とは、御信心をさせていただく 喜びの心です。信じる心と喜びの心は一つでなければなりません。 この御文では、御信心で我が身に頂く果報の喜びが述べられてあります。 現代語訳 「まことにありがたいことに、私は生まれる事が難しいと言われている人間に生まれつき、お出値 いし難い御信心にもお出値いすることができました。もし、この御信心をさせていただかなかった ら、上行所伝の御題目の御信心をさせていただける貴い人間界での一生を、利欲を求め満たす だけに費やしてしまい、六道輪廻から免れることはできなかったでしょう。この久遠本仏が我々衆 生を救おうとされる大慈大悲に漏れてしまっていたら、人間に生まれた甲斐も無く何を一生の思 い出としたことでしょう。浅ましい我が身を振り返って見れば、行いは畜生のように本能の趣くまま に生きているようで、考え方も「猿智慧」のようにずる賢いのが我々であり、むさぼり、いかり、おろ かな性格をもっております。お釈迦様は既にお姿を隠され、弥勒仏の御出現は大変遠い未来であ ります。この「無仏世」と呼ばれる時期であっても、久遠本仏は上行菩薩をお使いとされ高祖日蓮 大士と生まれ変わり、貴い御題目を御弘通されました。私はこの御慈悲により、高祖日蓮大士、 門祖日隆聖人の、み教えの流れを汲む本門佛立宗の教えを頂き、上行菩薩の身内、久遠本仏の 真の弟子という貴い身分を頂きました。この我が身の幸せは、竜樹菩薩、天親菩薩、釈尊の高弟 の迦葉尊者、阿難尊者に比べてみましてもはるかに勝れております。これはまったく御法様のお陰 久遠本仏のお慈悲のお陰であります。」(参考:宗徒教範) 六道輪廻:地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界を永遠に廻る衆生の定められた運 命の事。 [目次に戻る] |
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今月は「願わくは」の御文についての講義です。 (本文は妙講一座を参照して下さい。) この御文は五悔の最後の「発願」とされています。発願とは「願いを発す、誓いを立てる」という 意味です。菩薩の修行が当宗の修行です。その菩薩の修行を成就するために御法様にお誓いを 立てさせていただいて、決して投げ出しません、と申し上げるのです。 現代語訳 御宝前にお誓い申し上げます。この上行所伝の御題目信唱の御信心をいただいた今より、この 一生の間だけではなく菩薩の修行を成就して寂光参拝の後も、自ら進んでこの娑婆世界に生ま れ出て、教化折伏の菩薩行に精進させていただき、一切衆生を救い尽くすまでは一歩も退く事な くご奉公の道を進み続けさせていただきます。 補足 開導聖人ご指南 「妙講一座の結句、終『生々世々菩薩道を行じ(中略)』との文意を心腑に染めて常に口唱すべ き也。(中略)この要法下種の大法は天下万民一同に救助せん仏道なれば、其志を尽す所をこれ に移して聴聞せずば隣の宝也」(佛立要談二十) この発願の御文の意味を、充分肝に銘じて口唱信行に励まねばならない、我々佛立信者のお 持ちする御題目は法華経本門八品に顕された、一切衆生を救い尽くす為の大法である。この意 味を知らずにいれば、ただ他人の宝をながめているだけのように、貴い仏果成就が叶わなくなっ てしまうぞ、とおさとしです。 お互いは、このことから長いようで短い人生を、口唱信行、教化折伏の御弘通御奉公に精進さ せていただいて、生まれ変わり、死に変わりしても御弘通御奉公に退かず進み続けることを決意 しなければならないと教えていただいているのです。(宗徒教範より抜粋) [目次に戻る] |
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今月は標題についての講義です。 (本文は妙講一座を参照して下さい。) これまでは主文6章を解説してきました。ここからは助行文といいます。 標題とは、法華経の品題のことで、法華経二十八品(28章)の題名だけを唱えます。 法華経は前半14品を迹門。後半14品を本門といいます。中でも従地湧出品第十五から嘱累 品第二十二までの8品を本門八品といいます。この8品は「上行在座」といって上行菩薩を始めと して本仏釈尊の直弟子、久遠という大変な遠い遠い昔に既に本仏にお教化された本化の菩薩方 がお出ましになる章です。この処に末法の我々が上行所伝の御題目を口唱信行させていただく 大切な御法門がお示しになってありますが、このことは別の講義にて解説いたします。 さて、この標題を挙げる意義は、御題目を口唱させていただくに当たって、その御題目の中身に どんな功徳があるかを挙げて、随喜の心を起こし、かつ、また御題目を口唱すればその中身の法 華経二十八品を読誦する必要はない事をあらわされている。 参考文献:妙講一座講案(佛立修学校編) [目次に戻る] |
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今月は「日月の御文」についての講義です。 (本文は妙講一座を参照して下さい。) 日月の御文は如来神力品の結文で、末法の世の中に本門八品の肝心妙法五字の御題目を お弘め下された高祖日蓮大士を讃嘆する御文です。 現代語訳 太陽や月の光が下界を照らして一切の暗黒を除くように、法華経本門の肝心妙法五字の功徳 は一切衆生の心の闇を照らし、煩悩を除く。 本化上行菩薩は、久遠本仏よりお手渡しによって妙法五字の御題目を授けられ、久遠本仏の 直々のご命令により滅後末法にご出現になり、「日蓮」という御法の功徳を表されたお名前で御題 目を命をかけてお弘めなされる。 これによって、末法の凡夫の心の闇は除かれ、成仏の道を開いていただけるのである。 この末法の総導師であるお方(御祖師様)のご教導を頂き、法華経の行者になったものは、法華 経に説かれてある広辺無大の妙法経力をよく心に銘じて、滅後末法において信行につとめよ。 法華経の行者として終生妙法五字を受持し、信行ご奉公に精進するならば、間違いなく成仏を 遂げる事は疑いのないところである。 補足説明 この日月の御文は、本仏釈尊が御祖師様のご出現、末法弘通のお姿、末法の行者の信行御奉 公の功徳を説かれた御文です。よくよくそのお心を頂き取り、しっかりお唱えすることが大切です。 (宗徒教範より抜粋) [目次に戻る] |
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今月は「此経難持」「如来神力品」の御文についての講義です。 (本文は妙講一座を参照して下さい。) 「此経難持」の御文は、法華経見宝塔品の結びの御文です。 この御文はあまり使われることが少ないので、知らない方も多くおられることと思います。 特徴ある拝読の仕方をしますが、これは御祖師様が伊豆ご流罪のおり、我もお供つかまつると すがられ、役人に腕を打たれ折られた日朗菩薩に対して、岸を離れるところの船上で「此経難持」 の御文を唱えられたのが波間に途切れ途切れに聞こえたのを、表現したと伝えられています。 その拝読の仕方は、所属のお教務様からご指導をいただいてください。 御文の内容は、門祖聖人の御聖教には、上行所伝本因下種の御題目の経力、功用をあらわさ れた御文であると、お教えを下されています。
「如来神力品」は法華経第21章で、妙法の御題目を久遠本仏から上行菩薩にお手渡しになる 重要な場面です。 この神力品によって、久遠本仏の全てのお悟り、お力を妙法五字に包みおさめられて、末法の 総導師となられる上行菩薩に授与されたからこそ、我々末法の凡夫が成仏の大果報をいただけ る道が開かれたのです。 「此経難持」の御文も、「如来神力品」の御文も、上行所伝の御題目を讃嘆し、口唱信行の修行 が貴いことをお示しであるところから、開導聖人は妙講一座に取り入れられました。 前月の「日月偈」、そしてこれらの御文をお唱えする事自体が大切なのではなく、そのおこころを 知ることが大切であり、口唱信行がいかに貴い修行であるか、功徳の広大無辺であるかを知るこ とが重要なのです。 宗徒教範「妙講一座」趣意 [目次に戻る] |
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15回にわたった「妙講一座を学ぼう!」も、今回で最終回です。 妙講一座に如説修行抄が入っている理由について。 御題目口唱が罪障消滅、信者成仏の道であることを心得るための妙講一座であることは、これ までの講義にあった通りであります。 その中で、如説修行抄が入れられた理由についてをお話しいたします。 如説修行抄の内容については、「如説修行抄を学ぼう!」に譲りますが、如説修行抄を法要の 中に拝見され始められたのは、妙講一座ご制定より8、9年後、明治20年頃と伝えられています。 しかし、開導聖人のお心の中には早くから、如説修行抄を弟子信者に常々拝見させようとする お考えはあったようです。 如説修行抄を拝見する理由は、野口日壌上人の著書には「この修行抄は妙講一座の『生々世 々菩薩の道を行じて永く退転なからん事を思うものなり。』の菩薩の行法、折伏立教の祖意に本 づくもので、それで修行抄について開導聖人は「如説抄、始中終皆御折伏也。宗体也」(十巻抄) と示されてあるが、全く随身不離抄として当然行者の用心として拝するものである。故に修行抄は 本門流通の下種信行を護持し増進せんが為である」(趣意)と講じておられます。 つまり我々が如説修行抄を拝見するのは、発願文のおこころである、生き変わり、死に変わりし つつ菩薩行に励むことが、我々の修行であり、御祖師様が折伏宗を立教開宗あそばされたご本意 に基づくことである。 開導聖人は、如説修行抄とは初めから終わりまで折伏の修行方法を示されているもので、当宗 の根幹である。如説修行抄にも「御身を離たず常に御覧あるべく候」とあるように、御祖師様の仰 せの通り、法華経の行者の心得ることとして常に拝見しなければならない。つまりは、如説修行抄 とは、上行所伝の御題目のご信心をお持ちさせていただき、信心増進を図るために拝見するので ある、とご指導下されているのです。 以上で「妙講一座を学ぼう!」の講義を終わります。ご意見、ご質問等は以下まで。 ありがとうございました。 [目次に戻る] |