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「常講歎読滅罪抄」を学ぼう!

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常講歎読滅罪抄
 常に御講にて皆で歎え読み、罪障消滅を願う書き物。
 信者堕獄の條々。
 信者が地獄に落ちる原因は次の通り。
一、 第三下種の教相習ひ損じの事。
 三種教相の第三番目、「師弟の遠近不遠近」という、久遠本仏と上行菩薩の久遠からの師弟関係を明かし、久遠本仏が成仏なされた根本の因、下種の御題目が、末法下種の大法として確立することを明らかにする御法門を習い損じる事。
一、 人法一箇といふを忘れて人を捨つるの事。
 御法と人格が表裏一体であるという道理を忘れて、御法は敬うが教務、信者を軽しめる言動、行動をする事。
一、 異體同心と口にのみいひて我慢つよく同破の事。
 「異体同心が大事」と口だけ言って、うらはらに自分の我と慢心を強くして仲間割れをしたり、すすめたりする事。
右三ヶ条は常にかへりみ謹むべし。
 右の三ヶ条を犯してはいないか、お互い常に自分をかえりみて反省改良しなければならない。
久成の仏、久成の人に久遠本因妙の本法を付して、末法の我等に下種せしめ給ふ。
 久遠本仏は法華経本門八品の御法門にて、上行菩薩を召し出されて、久遠本仏御自ら、ご自分が久遠の昔に修行されていた真の成仏の因(もと)である、妙法の御題目を弘通する衆生教化折伏行を上行菩薩に託して、末法の我々凡夫が救われる道を残された。
上行日蓮大士と顕れ、身命を擲って日本国に流布せしめ給へり。
 上行菩薩は、日本の国に日蓮大士としてお生まれになり、身命をかけてこの日本国に上行所伝の御題目のご信心を御弘通遊ばされた。
これによりて行者因の如来となり、貪体即覚体の即身成仏を得、生死に恐れなく一切をして現当二世の大願を成就せしむ。是れ全く仏祖の大恩なり。
 これによって、凡夫の我らでも妙法の大法を信じ行ずれば、欲にまみれたこの凡夫の体が妙法の御経力によって仏の修行の果報をいただける事になり、生き死にに恐れがなくなり、人生において御弘通ご奉公を成就させていただき、諸々の願いをも叶えていただける身となった。これを考えると広大無辺の仏の大恩である。
されば大恩報謝の御奉公にもと、展転随喜するに教化の功徳己に帰す。
 ならば、我らはこの大恩に報いる御弘通のご奉公にと、この喜びを他の人々にお伝えをして教化折伏に励ませていただけば、そのお教化の功徳は自分に還って来て、さらに大きな功徳を積ませていただける。
一善一切の善、一切の善一善に帰す。
 妙法弘通の善行は、この世の全ての善行であり、全ての善行は全て妙法弘通の一善行に帰るのである。
吾祖曰、法華経にはあらねども、此経に名をよせたる人を色にも嫉み戯れにも軽しめぬれば、法を謗ると同じく、無数劫無間地獄にをつること疑ひなしと。
 高祖日蓮大士の御妙判には、法華経に説かれてあるご文を引くまでもなく、法華経を形だけでも信じる信者であっても、その人を何の気なしにも軽蔑したような事を言ったり、したりすれば、法華経を謗るのと同じであり、永遠に近くの間、地獄をさまようことになるのである、と仰せである。
されば法は人によりて弘まる。人法一箇これなり。
 だから、妙法は人によって弘まり、人と御法は一体であると仰せになられたのである。
然るに師匠と頼み法義を学びし御導師を、ある時はほめ敬ひ、ある時そしり軽しめ、或時は捨て、ある時は拾ひ、ある時は頭にいたゞき、ある時は尻に敷き、口にはほむるといへども心にてころしなんどせば、仏不軽品にとかせ給ひしが如く、地獄免れがたしと、蓮隆両祖堅くいましめ給へり。いかに信心つよくせさせ給ふとも、仏説に違背せば其の御罰のがるゝ便りなし。
 であるから、師匠としてお仕えし、教えを受けるお導師を、その時の気分や都合で扱いを変えたり、誠実なお敬いを欠かしてしまうような事があれば、法華経常不軽菩薩品に説かれるように、法華経の行者への誹謗中傷は地獄行きであることは免れることはないであろう、と高祖日蓮大士も門祖日隆聖人も堅くお戒めである。傍目には、どんなに信心強く見えたとしても、仏の教えに背く者は、そのご罰は逃れられないのである。
誰か是を申しなだめん。故に此御経を信行せん人此懺悔を日夜に忘れずして、さて願をも成ずべし。
 誰にでもこれを言い聞かせなさい。故に法華経を信じ、上行所伝の御題目のご信心を信行させていただく人は、このご罰のお懺悔を忘れないよう、み教えを習い損じることなく、お互いに敬い合い、異体同心をもって御弘通のご誓願を成就させていただき、菩薩の道を歩みなさい。
御講たびに一わたりよみ聞かすべし。
 御講席の度にこれを読み聞かせるが良いだろう。
吾祖曰、日蓮が弟子旦那我慢偏執の心なく、異体同心に弘通広宣を祈り奉るべき也と。
 高祖日蓮大士の御妙判には、日蓮の弟子や信者が自我や慢心、偏見を捨てて、妙法弘通の一筋に御弘通発展を祈りなさい、と仰せである。
経に云く、忍辱心決定文。
 また、法華経にはどんな怨嫉迫害にも屈せず、耐え忍ぶ心が信心であると説かれている。
我ら佛立信徒はこの教えを堅く守らねばならない。

長松堂清風拝輯。
 私、長松日扇、ここに弟子信者の皆さんに敬って申し上げるところである。


                                                                                   参考文献 佛立聖典 趣意

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